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 ここ最近の傾向でウイークデイは天気が良く、週末になると崩れるパターンが続いている。
銀ゴキも通勤のみの使用で4月の走行距離は延びていない。

 そんな中、新たな問題が浮上してきた。バイクを押し歩きする時バイクがとても重いのだ。
何が原因だろうかと、ジャッキアップして前・後輪を手で回すと・・・前輪のブレーキが引きずってる><

 確か去年の今頃フロントブレーキキャリパー内部をOHしたはず。その時は清掃だけの手抜き施工だったなぁ。
あれから1年、今度こそ新品パーツへの交換が必要かなと考えながら数日過ごしていた。

 それともう一つ大きな問題があった。フロントブレーキをかけた時にストップランプが点灯しなくなったのだ。
旧車のゴキは今のバイクとは異なり、ブレーキレバーを握るとレバー側と本体側に付けられた接点が接触しランプが点く構造だ。本体側の接点は、メインハーネスから直で出ており、この接点が摩耗して接触しない事からランプが点灯しないのだ。

 接点自体は高いものではなさそうだが、メインハーネスを変えなければいけないので、その交換の手間とメインハーネスの費用から修理を見送っていた。仮に頑張って変えたところでまた接点が摩耗したら同じことの繰り返しだ。いっそ最近のバイクの構造に変えれないものかな・・・?

 そこで目を付けたのが、「ブレーキマスターシリンダセット」の購入だった。これはスイッチ用のオスコネクタが出ており、ここに線を接続するだけで修復出来そうだ!しかし安いものでは無いから、何か月かに分けてブレーキ周りの部品一式を買い揃えた。キャリパーOH用のピストンやブレーキパッド、マスターシリンダーを一斉に全部交換するのだ。

 19日に最後の部品が揃い明けて20日、組み付けを行った。
これが部品全部です。
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左からスズキ純正ピストンASSYセット、キジマのキャリパーグリースとSBSのブレーキパッド。FALCONのブレーキフルードと、ポッシュのバンジョーボルトとパッキンのセット、ニッシンのブレーキマスターシリンダセットだ。

 早速作業開始!まずはフルードがかかったらまずいところをマスキングしてキャリパーのエア抜きボルトに配管を繋げる。
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キャリパーを取り外し、ブレーキレバーをにぎにぎして古いフルードを抜きながらピストンASSYを押し出す。

 ピストンASSYが抜けると新しいピストンASSYと交換する。
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パッキンが上手くはまらないままキャリパーに組み込んでしまったのでもう一度フルードを入れて抜く羽目になってしまった(泣

 ありえないほど何度もブレーキレバーをにぎにぎしてピストンを抜いて、今度は上手くパッキンを装着しながらキャリパーにピストンを組み込んだ。(やれやれ

 次にブレーキパッドを交換する。旧パッドを外すと、ほとんど減っていない!?SBSのパッドと厚みを比べるとまったく同じ厚みが残っていた!!だんごだけでも12.000km乗っているのに・・・?まだ使えそうなので交換は止め、軽くクリーニングして旧パッドを使用した^^

 次は本命のブレーキマスターシリンダセットを交換だ。バックミラーを外し、旧ブレーキアッセンブリーを取り外す。
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ボルト2本で新しいブレーキマスターシリンダセットを装着した。マスターシリンダセットに合わせたスズキ純正とは異なるバンジョーボルトでブレーキホースを接続。

 フルードを注ぎブレーキレバーをにぎにぎしてエア抜きを行う。さっきミスしたせいでフルードが足りない><
近くのホームセンターに走り、フルードとコネクタ用のピンも購入!

 再度フルードを満たし、またありえないほどブレーキレバーをにぎにぎする。いい加減腕が痛い(泣
やっと当たりが来て、レバーのタッチが腰のあるフィールになった♪
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ブレーキの握りしろは、6段階に調整可!

 これが問題の磨耗した接点!
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気合で切断し配線にコネクタを打つ!

 コネクタに絶縁カバーを付けてマスターシリンダのスイッチに接続。
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写真では解りづらいが真ん中の黒い部分です^^;

恐る恐るレバーを握ると・・・

「点いた」!

 すべてを再点検して試乗する。ブレーキのタッチを確認すると、心持ストッピングパワーが上がったようだ!
何よりもストップランプが点く事で、みんなでツーリングに行く時に後方に迷惑をかけずに済むから嬉しい^^

 とりあえず銀ゴキのブラッシュアップ計画一覧はほぼ終了したようだ。これからはライディングギアの充実や消耗部品の交換がメインとなるだろう。ここまで来た事の嬉しさと、もういじるところが少ない一抹の寂しさが交差する。

 でも、また何だかんだ見つけて弄るんだろうけどね^^
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 4月19日土曜日に「エンジョイホンダの日」に行って来ました!
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 子守で一日自宅にいたりすると、Souもだんごも退屈で荒れ模様になってくるから、こんなイベントはありがたいね^^
自分でホンダの二輪や四輪を買う事はありえないけど、サーキットの雰囲気を味わいたくて、アトレーを飛ばしました。

 一番の見所は、MOTO-GPマシンと全日本GT500NSV-010の混走だったんだけど、ちょうど着いた時には終わってました><
それでもホンダの2輪展示や、レーサーの展示、N-ONEワンメイクレース、CBR250Rのエキビジションレース、などなど盛り沢山で、レース好きならずとも楽しめる内容だったね!さすがホンダ。

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全日本フォーミュラーSF14 写真はうちの子ではないけど、つなぎが決まってたので使用させてもらいます^^

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全日本GT選手権ホンダNSV-010 さっき走ってたやつね!

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これもさっき走ってた、MOTO-GPマシンのRC213V

あ!「クマもん」
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熊本でクマもんは珍しくないが、かなりニアミスだったから思わずパシリ!

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二輪の展示 いろんなバイクに跨ってみたかったけど、だっこ星人のSouが・・・

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CBR250Rのエキビジションレース ライダーは全日本のJSB1000クラスを戦う5名のホンダワークスライダー達!
負けず嫌いのレーサー達は大人気ないレースで盛り上がった^^

 ミニサーキットでは2輪の試乗会もあってたようだが、子連れ狼のだんごは指をくわえて眺めるしかない><

だんご的には若干不完全燃焼だったが、Souは楽しそうだったからまあいいか^^
来年は、カミさんかK4Cメンバーと行きたいね!
 いやいや久しぶりに重たい記事で少し神経を使ったから、今日は軽く行きたいと思います^^

少し過ぎちゃったけど3月で銀ゴキ購入から早2年が経ち、3年目に突入しました!
ちょっと前にオドメーターが3万キロを超えたから、だんごが買って1万2千キロぐらい走ったのかな^^
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 ここまで大きなトラブルも無く、バイクライフを満喫出来ている事に満足♪

 しかし、先月の呼子イカツーリング以来、まる1ヶ月ツーリングに行ってません><
そろそろGW!たっぷり走りたいね^^
 いよいよ沖縄最終日。帰りの熊本行き飛行機は15時なので、早めにホテルを出ると沖縄南部へ高速を飛ばした。
今日の目的地は沖縄本島最南端の糸満市。南部戦跡は沖縄上陸戦の終焉の地で、多くの戦争遺跡が残っているところだ。

 まずは「平和祈念公園」を目指した。南風原南ICで高速を降り、国道507号線を南下。
八重瀬町から国道331号線へ右折し、「平和祈念公園」駐車場に車を止めた。

 広い敷地の中に「平和祈念堂」、「沖縄県平和祈念資料館」、「平和祈念公園」が点在している。
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 まずは資料館へ向かった。館内の展示は、「沖縄戦への道」、「戦場の住民」、「証言の部屋」、「収容所から」の4部で構成される。
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文字通り「雨のように振る銃弾」

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当事者達の心境は如何ばかりか・・・

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本土編入は最悪のシナリオへと、、

 目を覆いたくなるような惨状に言葉は出てこなかった。
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 3階は展望台だ。展望台から摩文仁の浜と南海の海が見える。とても青く美しい。ここでそんな暗い史実があった事がウソのように明るい。
 視線を平和祈念公園に移すと広いモニュメントの中央に噴水が見える。そこに金髪の外国人が海をバックに記念撮影をしていた。
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 連合軍(アメリカ)はなんてひどい事をしたのだろうか!この戦争については根が深すぎてだんごはまだ勉強不足だが、それでも尋常では無い事はわかる。
「窮鼠猫を噛む」、日本軍が戦ったのは追い詰められたからではないだろうか。民間人や老人、女性、そして子供まで・・・。
何故人が人に対してそこまで非情になれるのだろうか!?

 金髪の外国人がアメリカ人なのか定かでは無いが、心の中に熱いものがフツフツと湧いてきた。館を出て勇み足でさっき外人がいたモニュメントまで歩いた。
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 Souは外に出たのが嬉しかったのか、珍しく芝生の道を歩いた。途中転んではそれが面白いのケラケラと笑った。釣られてだんごも笑う^^
 だんごが腹を立てたところで誰かが浮かばれる訳でもない。一番苦しんだのは当時生きて戦った人達で、彼らの御霊は静かに眠っている。
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こんなに美しい場所が戦場だったなんて

 外海がすぐそばに見える。歩いていると潮風が心地よく熱い気持ちが冷めていくのが分かった。少し落ち着いて海を見やった。

 ここ平和の礎は、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人・民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなった全ての人々の氏名を刻んだ祈念碑で各県ごとに扇状に並んでいた。
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 摩文仁の丘に登った。ここには日本各県の慰霊塔が並ぶ。
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風化した石灰岩のたたずまいがとてもサビが効いて良い感じだ。

 この長い丘を歩く事を最初だんごは嫌だと思ったが、歩いているうちにもっと歩きたい。ここに居たいと言う気持ちに変わっていった。

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 悲惨な戦乱の地だったかも知れない。しかし今はこんなに明るい。降り注ぐ太陽と、さわやかな潮風。だんごは、沖縄でここが一番良かったと感じていた。

 せっかくなので、熊本県の慰霊塔に献花をし後ろ髪引かれながら平和祈念公園を後にした。
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 その後「ひめゆりの塔」に立ち寄り、「ジャッキーステーキ」で「アメリカ人を食ってやる」とは言わないけど、ステーキを食べて沖縄を後にした。

 初めての沖縄は楽しい旅だった^^バカンスだけを楽しむのも良いだろう。でもだんごはいつもそうだけど、新しいものにはとりあえず横目で様子を伺う。まずは古いものを知ってから新しいものにスイッチするのだ。
「温故知新」と言えば聞こえはよいが、そういう性分なんだろうね^^;

 沖縄の歴史を少しかじって、今の大切さが身に染みていた。今幸せでいられるのは悲惨な過去の代償と言う尊いものだった。
だからこそ今を大切に生きたい。

 だんごでは上手く語る事が出来ないから、「みゆき」の歌からこの沖縄旅行の締めの言葉としたい。

「瞬きもせずに」 

瞬きひとつのあいだの一生
僕たちはみんな一瞬の星
瞬きもせずに
息をする事さえ惜しむかのように求め合う

長文、ご清聴ありがとう御座いました。
 沖縄2日目の朝、朝食をとりホテル前のビーチへ向かう。潮騒が朝のひんやりとした空気を運んでいた。
今日は1時間ほどビーチで水遊びした後、沖縄北部へ移動し観光を楽しむ予定だ。
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 海開きを済ませたとは言え、朝の海は少し水が冷たい。それでもカミさんは果敢に沖まで歩いた?
丁度干潮時で、遠浅と言う事もありクラゲよけネットがあるところまで歩いて行けたのだ^^
あいかわらずSouはおんぶ星人で、終始カミさんの背中で「つめた~い」と奇声を上げた><
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 チェックアウトし車に乗り込むと高速道を約70kmエスケープ。終点の許田ICまで行き、国道58号線をさらに北上。
山口県の角島に架かる橋に似た「古宇利大橋」を渡り古宇利島へ行く。

 いくつかの小さい小島を渡ると、真っ青な海にまっすぐ古宇利大橋が見えてきた。
これほど真っ青な海を生で見るのは初めてだった。橋を渡ってすぐの海の家で車を止めた。
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 展望台まで歩きコバルトブルーの海を見下ろすと、海で遊びたい衝動に駆られる。
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だんごは海の家でオリオンビールを空ける事で、海に入れない無念を紛らした><

 カミさんと運転をスイッチし、「今帰仁城跡」へ向かう。ここは万里の長城を思わせる長い石垣が美しいとの前情報で、どうしてもだんごが行きたかった場所だ。

今帰仁城ホームページより
14世紀の中国の史書に琉球国山北王「はにじ(はにじ)」「みん(みん)」「はんあんち(はんあんち)」の三王が登場します。この頃の沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山県立の時代」でした。北山王は沖縄島の北部を中心に支配下とし、中国と貿易をしていました。しかし1416年に中山の尚巴志によって滅ぼされ、北山としての歴史の幕を閉じることになります。

北山の敗北後、中山は北部地域の管理とし監守を設置。1422年以後監守の居城としてグスクを利用します。しかし1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、城は炎上しました。監守が住まなくなって以後は御嶽とし精神的拠り所として広く県内から参拝者が訪れました。

監守が首里に引き上げたとされる1665年以後の今帰仁村は精神の拠り所として崇拝されてきました。現在でも今帰仁城跡には火神の祠があり、その時代を垣間見る事ができます。

 2日連続のソーキそばで腹ごしらえした後、城郭を登り始めた。
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 昨日の勝連城によく似た白い石垣が大きく取り囲み、下草の短い草地は白と緑のコントラストが何とも美しい。
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 6百年の歴史は風格のある風景に十分な歳月だ。それでも苔むしたようなところが一切無いのは乾燥した土地なのだろう。
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 琉球の歴史をしばし堪能して、帰りはSouをおだててすかして何とか歩いて下らせた^^;

 そしてSouにはお待たせの「美ら海水族館」へ向かう。今帰仁城から15分ほどで大きな駐車場が見えてきた。
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 ここのメインは何と言ってもジンベイザメで、だんごが想像した以上に大きく、しかも3匹が水槽を悠然と泳いでいた。
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 薄暗い館内から真っ青な水槽を眺めていると、ヒーリング効果か睡魔が襲い眠気と闘いながら館内を回る。
イルカショーが少し離れた施設であっていて、移動で館内から出ると自然の空気にホッとしたのだ。
やっぱり根っからアウトドア派なんだね^^

 公園で遊びたくてぐずるSouを抱えて今夜の宿泊地名護市へ移動した。海岸線は風と波が少し強く吹いていて、紺碧の海に白い波が打ち付けていた。

 早めにホテルに入ると、13階の部屋のベランダからまた海を眺めた。
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 沖縄2日目。観光を満喫し、心地よい疲れを感じながら日が暮れていった。

つづく
 次の目的地に向かう前に昼食をとった。せっかくの沖縄なので「ソーキそば」を頂く。Souはほとんどご飯を食べず、店の中を右往左往して遊んでいた。
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まったくこいつは何を食べて生きているのか(^^;

 お腹も満たしたところで「首里城」へ向かう。小高い丘を登り詰めると大駐車場があり地下に滑り込んだ。
ここから城郭を登って行くのだが、Souは甘えて自分で歩こうとはしない。荷物とSouを抱えて坂や階段を上るのはホントに辛く、汗が噴き出してくる。それでも琉球王国を感じさせる門や、衣装を身にまとった女性が見えると疲れを忘れて歩いていた。
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 びっしりと隙間なく積まれた白い石垣は、表面まで平らに削られてとても美しい。
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 先人の偉業に感心しながら歩くと赤い門が見えてきた。
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 司馬遼太郎さんの「街道を行く」シリーズでは、「薩摩侵略以前の首里城は竜宮城のようだった」と語られていた。
赤・青・黄色の極彩色が溢れ、南国の照りつける日差しと、広がる青い海。琉球王国時代はそれは美しいものだったはずだろう。

 その片鱗を垣間見ながら王宮へ向かった。
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 450年間続いたおとぎの国のような栄華は、薩摩の侵略、明治維新琉球処分による廃藩置県で無理やり日本国に属性され、沖縄県となった。その後太平洋戦争では首里城は主戦場となり米軍に占拠されてしまう・・・。
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国王が座った玉座

 「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は世界遺産と認定され、そのシンボルになった首里城は気の遠くなる歴史をつづっていた。その歴史についてだんごは余りにも無知で、今回は当時の栄華を忍ぶ事を楽しんだのだ。
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 ふと、人影もまばらな場所に居るとタイムスリップして当時の世界に放り出されたような感傷に襲われ、生まれて、努力して、成功があって、衰退がくる。そして滅びる事は人生と同じだと思わされた。
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 思わず長居しそうな気持を振り切って、次の目的地へ移動した。

 高速を一路北中城ICまで走り、うるま市の「勝連城(グスク)跡」へ向う。

ウィキペディアより
勝連城は勝連半島の南の付け根部にある丘陵に位置する。南城(ヘーグシク)、中間の内、北城(ニシグシク)で構成されている。北城は石垣で仕切られた一から三の郭が階段状に連なり、一の郭が最も高く標高約100mの丘陵上にある。

13世紀-14世紀に茂知附按司により築城されたという。この城の最後の城主が阿麻和利である。阿麻和利はクーデターを起こしてこの地方の按司となり、琉球の統一を目論んだが1458年に琉球王府によって滅ぼされた。

2000年(平成12年)11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されている(登録名称は勝連城跡)。登録されたグスクの中では最も築城年代が古いグスクとされている。

 駐車場からそびえ立つように城郭が見え、だっこ星人のSouはカミさんにだっこされて急坂を登った。
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 それは首里城とはあまりにも違う城だったが、滅びの美学、この荒涼とした感じがだんごは意外と好きだったりする^^
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 丸みを帯びた白い石が積まれ城を囲った作りは首里城と似ていて、石垣の上を歩くことも出来た。
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 勝連半島の高台から見る風景はどこまでも水平線が広がり、見下ろせば断崖の上で足も竦むが、この風景を見ればここで暮らすのも意外と悪くは無いと思う。
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 日が傾き斜光がグスクを照らした。いつの間にか海軍指令壕での重苦しい思いが消えていた。
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 それでも現実から目を逸らす事は出来ない。明るい海と空だけが能天気にあたりを明るく照らしていた。

 駆け足で過ぎた1日目は暮れようとしている。
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 明日は何処へ行こう。

つづく
 唐突だけど、だんご一家は4月11日から13日まで二泊三日で沖縄に行ってきました^^

 だんごは初めての沖縄だったけど、この時期の沖縄は気候がいいね!
海開きは済んでいるから無理すれば泳げるし、気温は25度から30度。湿気が無く空気がカラっとしている^^

 そんなバカンス気分の一方で、第二次世界大戦沖縄戦の暗い過去の遺跡などを織り交ぜて珍道中は幕を開けました。

 阿蘇くまもと空港から定刻通り10時に飛行機は南の空へ舞い上がった。
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 離陸から20分。上昇飛行から高度1万4千キロの巡航高度に達した時、すでに飛行機は屋久島の横を抜けている最中だった。早いね!!

 11時半に那覇空港に無事降り立ち、送迎バスに乗りレンタカー乗り場に移動。ほとんどの観光客はそうするのだろう。道路も「わ」ナンバーばかりだ。
 レンタカー引渡し場には多くのコンパクトカーが止まっていた。だんご的にはスイフト>フィット>デミオ>ノート>ヴィッツで、自分の車は何か?とわくわくしていたら・・・下から2番目のノートでした><;
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 まずはカミさんお勧めの「海軍司令部壕」へ向かった。そこに行くまでだんごは何の事か解らなかったのは内緒で^^;
とにかく日清・日露戦争以降の歴史はホント勉強不足で、沖縄内陸戦で何があったのか解らないままの歴史探索です。
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 ウィキペディアより
海軍司令部壕は、沖縄戦において大日本帝国海軍の司令部として使用された防空壕である。
司令部壕は1944年8月10日に着工されたが、本格的な工事は10月10日の十・十空襲以降に始められ同年12月に完成した。海軍第226設営隊(山根部隊)の約3000名が設営にあたり、ほとんどの工事はつるはしなどを用いた手作業で行われた。小禄地区周辺にはこの他にも多数の防空壕が建設され多くの住民が動員されたが、海軍司令部壕は最高軍事機密であったため民間人は近付くことも許されず工事は軍隊の手のみによって行われている。
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枝分かれした全長約450mの坑道といくつかの部屋からなり、砲撃に耐えられるよう重要な部屋はコンクリートや漆喰で補強されている。坑道の壁には建設時につるはしで削っていった跡が残されている。
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幕僚室10m² の広さがあり幕僚が手榴弾で自決した痕跡が残されている。
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下士官室、兵員室は壕内に2ヶ所、それぞれ13m² の広さがあり兵士が休息するために使われた。戦闘が激化した時期には壕内に4,000名もの兵が集まり坑道も事実上の兵員室となっていた。このような中で多くの兵士は立ったまま睡眠を取る有様であった。

1945年(昭和20年)1月20日、佐世保鎮守府から大田実海軍中将が沖縄方面根拠地隊司令官として赴任し現地の指揮を執ることになった。
アメリカ軍による本格的な攻撃は3月23日頃から始まった。3月31日午前8時には那覇市の北西沖約10キロメートルに浮かぶ神山島に上陸し、4月に入ると島に設置された砲台や海上艦船からの攻撃も始まった。
5月半ばになるとアメリカ軍は那覇市街地に迫り、首里付近に集結していた陸軍は5月22日に沖縄本島南端部への撤退を決め、小禄司令部壕を守っていた海軍もこれに合流するため武器の一部を廃棄して5月26日から移動を開始したが、命令の行き違いがあり5月28日に小禄司令部壕へ引き返している。6月に入ってアメリカ軍の攻撃が激しくなったため陸軍との合流は断念せざるを得なくなり、海軍は司令部壕付近に孤立する状況となった。

6月4日午前5時、アメリカ軍は小禄飛行場の北部に上陸し司令部壕のある那覇市南西部を包囲した。大田司令官は6日夕方に辞世の句とともに訣別の電報を打って自らの覚悟を伝え、同日夜には「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電報を打って後事を託している。
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沖縄県民はこのように戦い抜いた。
県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。


包囲が次第に狭められていく中で壕内に重火器はほとんど残っておらず、歩兵による突撃で応戦するのが精一杯の状況となった。
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ここから突撃して行ったと言う

11日午前7時、司令部壕に集中攻撃が加えられた。同日夜には司令部壕からの最後の報告として海軍根拠地隊が玉砕したとの電報が発せられている。13日午前1時、大田司令官は自決を遂げ小禄地区における組織的な戦闘は終結した。

1953年(昭和28年)3月、戦争で生き残った元海軍部隊隊員が司令部壕跡を訪れた時、入口は崩壊し坑内には泥水が溜まっている有様であった。壕内からは大田司令官をはじめとして800名以上の遺骨が収集された。1958年(昭和33年)には更に1500名以上の遺骨が収集され、沖縄海友会によって海軍慰霊之塔が建立された。

 元海上自衛隊で佐世保に居たカミさんは大田実司令官の電報を細かくだんごに話してくれた。佐世保繋がりで感慨深いものがあったのだろうか・・・。

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 戦没者の約半数10万人が沖縄県民だったと言う。戦略的に重要な位置だった事が沖縄の不幸なのだろうか・・・

 沖縄の最初の訪問地でいきなり戦争の暗い影を目の当たりにして何も知らずにいた自分がとても滑稽に思えてしまった。そう、もう一人滑稽者が居て、最初から最後まで寝て過ごしたSouです><

 子供だから仕方ないね^^それでゆっくり見学する事が出来たのだった!

つづく
 何だよ、ヤマハのキモバイクについて書こうと思ったら、なかなか見つからないよ><
250ccのジールなんて、ちょっと変わったスタイリングではあるけどもそこまでキモくも無い。
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ZEAL250

 そこで最新のバイク「MT-09」をピックアップしてみました!
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水冷・DOHC・直列3気筒・4バルブ・フューエルインジェクション搭載エンジン

コンパクトで慣性トルク変動が少ない、等間隔爆発による滑らかなトルク特性・高回転域での伸び感が得られる、など。この3気筒エンジンならではの特色を活かし、“クロスプレーン・コンセプト”に基づき開発した846cm³・ダウンドラフト吸気・前傾42.5度・FI搭載のエンジン。78.0×59.0mmのボア・ストローク、11.5:1の圧縮比から優れた出力トルク特性を実現。またコンパクトな燃焼室を形成、素早い燃焼により粘り強く、高いトルクを引き出し、あわせてスムーズな吹け上がりを実現している。軽量アルミ鍛造ピストン、破断分割式(FS)浸炭コンロッド、放熱性に優れるダイレクトメッキシリンダー、ロス馬力を低減するオフセットシリンダーなどを採用している。
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ヤマハHPより

 このバイクの一番のポイントは何といっても直列3気筒のエンジンでしょう!
3気筒と言えば過去にSSやKH、GT380などの2スト3気筒が思い浮かぶ。
昨日紹介したトライアンフも3気筒だ。
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kawasaki SS500

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suzuki GT380

 だんごが初めて買ったバイクがKH250で、次に買ったバイクがVT250Fと、2スト空冷3気筒、Vツインに乗ったせいか定番のインラインフォアFZ400Rに乗り換えた時、何かが足りないと感じていた。

 今人気のハーレーやドカティ、ベストセラーのSR400などは跨ってエンジンをかけると独特の鼓動がある。人気があるのはその鼓動や音、特性からくる乗り味だと思う。
 直列4気筒は、微細な細かい振動はあるが魂を揺さぶられるような鼓動は感じられない。良く言えばスムーズでシルキーだけど、悪く言えば味が無く飽きやすい。

 集合管から奏でる独特の「フォーン」と言う音が好きならば良しだけど、生き物に乗っているような鼓動はV型や単気筒、ツインなどがより多く感じ取れるのではないだろうか。(だんごの個人的な意見で、一般的には直列4気筒が主流)

 そんなだんごだから、MT-09の3気筒エンジンに注目していた。軽自動車のほとんどは3気筒だ。と言う事は、低速からしっかりトルクが出て扱いやすいはず。エンジンもコンパクトで軽い。ならば燃費も良い。etc・・・

 きっとMT-09は独特の世界観を持っているバイクだと思っている。
しかし、惜しむなくはこのデザイン><妙にフロント周りのトップブリッジ・ハンドルが高いし、テールエンドはこれでもかってほど細くて鋭角だし、短か!
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 質感は高そうだけど、もう少しかっこよくならないものかね・・・。。。デザインさえ良ければ、バイク購入リストに上がるのに。

 てか、大型免許持っとらんバイ><
 いやー、年度末・年度初めの忙しさにかまかけてすっかりご無沙汰です。
もう二週続けて雨だったり寒波が襲ったり・・・。そんなこんなでバイクにも乗れず消化不良><¥

 最近は、毎日自宅と会社の往復だけで、これと言って書くネタが見つからないので、久しぶりにバイクネタを一つ!
世には沢山のバイクがあるけども、このバイクのデザインは???と頭を傾げたくなるバイクをピックアップ!!
題して「ちょいキモバイク」ホンダ編でーす^^

 ホンダからは「VFR400Z」をご紹介!
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 1980年代半ばはレーサーレプリカの競争が激化してきた頃で、ホンダは水冷化&フルカウルモデルのCBR400RとV型4気筒エンジンを搭載したVFR400R(NC21)をラインナップ。ネイキッド(当時でいうノンカウル・カウルレス)のVFR400Z(NC21)も同時にラインアップしたのは、1980年代の特徴とも言える。

丸型のデュアルライトとなったVFR400Zは、それ以外の装備やスペックはVFR400R(NC21)とほぼ同一と言ってよい。最高出力59ps、最大トルク3.7kg-mは同一の数値で、ネイキッドだからといって特性をマイルドにしているわけではない。また、車体や足回りの内容もVFR400Rと変わらず、まさに「カウルを取っただけ」なのだ。これはVFR400RがNC24型にモデルチェンジし、プロアームとなった際には、それには準じずカラー変更にとどまったが、それでもハイスペックだったことに変わりはない。

VFR400Zは1987年3月発売モデルを最後にラインアップから姿を消し、400ccのV4ネイキッドはこの2年間のみとなったが、これをベースとした教習車VFR400Kのお世話になったライダーはかなりいるはず。

BBBより抜粋

 オリジナルのVFR400Rは小さめのデュアルライトを装備しており、Zの丸め二灯はお目々パッチリの大型ライトだった。
初めてこれを見ただんごは「ぶさいくなバイクだな」なんて思ったのだ。
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こちらはプロアームのNC24型

 しかしどうだろう!?今ストリート系で人気のトライアンフ ストリートトリプルに見えなくもないと言えば言いすぎか^^;
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 ライトの形状にもう一工夫あればカッコよかったのかもね^^

 バイクの世界では意外と古くからあった、レプリカとネイキッドなどのコンセプトが異なる兄弟車は、車の世界ではプラットホームを共有したまったく別の車種として存在していたと思う。いや、同じ車種でもセダンやクーペ、ハッチバックなどの派生があったので、車のほうがもっと昔からあったのか!

 1997年発売の「表ムーブ」、「裏ムーブ」と呼んだ初代ムーブはなんとなくインパクトあったよなぁ・・・。
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表ムーブ

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裏ムーブ

 話は大分脱線したが、カウルを外してハンドルを少しアップされて、欲を言えばステップも前に下に楽なポジションを取ったバイクは強力な心臓を持ったツアラーって感じで悪くない^^

 いざと言う時は牙を見せれるのさ♪

 当時はキモくても、今見るとなかなか味があるな!当時はV4は憧れのエンジンでした。今ラインナップされていないのはホント残念だねぇ。

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