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遅番勤務の休憩時間、夜空を眺めていた。

満点の星空。
我らはあの輝く一つ一つの星なのか・・・
いや、輝けるのはごく一部で輝けない星も無数にあるかも知れない。
俺は一瞬でも輝く事が出来るだろうか?

同期で一番仲の良いUとSは進路を切り替えた。
Uは美容師を目指し大阪へ、Sはデザイナーを目指し東京へ行く。
UやSのように自分の好きな世界で生きていければ・・・
俺は何がしたいのか、
何になりたいのか、
自分の進むべき道を毎日考えていた。

Uは言う。
「だんごは何がしたいの?」
「う~ん、レーサーかな」
「バカじゃ!」

そう、俺がなりたいものは現実離れしたものばかり。
不可能とは言わないが、二十歳を目前に控えて今から動くには相当の努力が必要になりそうなものばかりだった・・・

具体的な目標が見つからないまま、ともかく車やバイクにかかわる仕事をしたいと漠然と思っていた。
色々調べているといくつかの選択肢が浮かんできた。
一つは職業訓練校の一定の給料を貰いながら自動車機関の勉強が出来て資格も取れるという特別優遇枠だ。
これである程度手に職をつけて再就職につくか、もう一つは知人のやっている板金・整備工場へ転職する方法だった。
しかし、板金・整備工場は3か月間は見習い期間で両手にも届かないぐらいの給料しか貰えないという。

一人暮らしをやってて、家賃や換えたばかりの車のローンを抱えていた。
しかも最近島原のワインディングでCBR400Fを廃車にして、こっちはローンだけ残っている。
金銭的には首が回らない状態で、職業訓練校が一番の候補だった。

会社には春までに退職する旨を伝え、職業訓練校の受験を迎えた。
簡単な筆記試験と面接で試験は終わった。

職場のメンバーは3年にも満たなかった俺に送別会を開いてくれて、もう後戻り出来ない状況だ。
期待と不安を胸に結果発表を待った。
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下段中央がだんご

結果は電話で聞かされた。「不合格」だった。
内容は、枠は5名しかなく子供を抱えた一家の主で生計に危機がある人から優先で、俺のように若く失うものが少ない物は後回しになるという話だった。
「木工工芸」は定員に満たないので、そちらなら枠に入れられると言われたが、まったく畑が違う。

そうだよね。元々うまい話だった。退職は近く迫っていて、こうなれば2番目の選択肢に移るしかなかった。
板金・整備工場は面接だけで退職後すぐ移る事になった。
どうやって見習い期間の3か月間を食いつなぐかが問題になり、アパートを引き払い実家に帰ることにした。

実はここまでの経緯を両親に話したのはこの時が初めてで、父親は烈火のごとく怒った。
そりゃそうだ。せっかく安定した職業に就職したのに何の相談もせず、もうすぐ退職するなんて勝手に決め、
もっといい会社に転職したならまだしも、今から見習いなんて・・・
しかも家に帰れば食い扶持も増えるわけだから。

俺はまるで出戻りの嫁のように遠慮がちに過ごした。
車も中古のディーゼルに換え、バイクを持つことはもちろん控えた。
そのうち初出勤の日が来ても悶々とした気持ちが収まらないまま出社していった。

幸い仕事は面白かった。元々ヘルメットの塗装やバイクの整備など自分で出来る範囲はやっていたし
プロの技を目の当たりにして俺にも出来たらいいなと、休み時間や休憩時間も自分の車で練習した。

この時解ったのは、板金と整備はセットだと言うことだった。
まれに全塗装とかで傷のない車両の塗装もあるが、ほとんどは事故車両の板金で、色んな部品を外したり
叩いたり、溶接したりで当然最後は元に組み上げるので整備が出来ないと板金も出来ないのだ。

塗装は大好きだったが、板金・整備が意外と力技で、硬いネジを回したり、重いエンジンやミッションを降ろしたり
一日やると身体がヘトヘトになるほど疲れた。

見習い期間の給料では、月々赤字だったが3か月ならと思い何とか食い繋いだ。
そのうち見習い期間が終わり、初めてまともな給料を貰うと、ほとんど変わらない事に驚いた。
月々の支払いも厳しいし、季節は夏を迎えていてエアコンの無い工場で働く身体は汗疹だらけになった。

そのころには好きだった塗装も、シンナーの匂いが苦手になってきて、パテの削り粉で咳が止まらず八方ふさがりの状況だ。

「俺はこんな事をする為に転職したのだろうか」

月々の支払はますますピンチで、早く決断しないと残された猶予はすくなかった。
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明けましておめでとう御座います
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今日は大みそか。

一年はあっという間だなぁ。

ラストランにと寒空の中を駆け回る。

南阿蘇の入り口まで行くと昼間の気温が「2度」って!

日陰に雪も残るわ!
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這う這うの体で山を駆け降りる。

今年は寒くなるのが早かったから、春になるのも早いんじゃないかな!

そう期待しつつ今年を締めくくろう^^

2017年お世話になりました。
来年もバイク中心になると思いますが、、

よろしくw♪
Uにもし欠点があるとしたら、それは酒だったと思う。
彼は浴びるほど飲むと少しおしゃべりになるぐらいで顔色一つ変わらない。

口の上にグラスを運ぶとゴクゴクと飲むというより、「カッ」と一気に流し込む。
飲みっぷりは豪快で気持ちいいが、深酒になることが多かったようだ。

入社3年目を迎えたある日、滅多に休むことなどないUが出勤していない。
今のようにすぐ連絡が取れる時代ではなかったので、体調でも崩したのかなぁと余り気にも留めなかった。

しかし、翌日になるとUが事故を起こし、大けがして病院に運ばれたと言う事が解った。
事故時間が深夜だったから、もしかしたら飲酒や居眠り運転じゃないかと想像された。

同じ班のリーダーが、みんなで見舞いに行こうと上司に入院先を聞きに行くと・・・
「Uは顔を何針も縫うけがをしていて、とても面会出来ない」
「今は面会しても逆に迷惑だろう」

その通りだった。Uの本心は解らないが、プライドの高い彼だからこんな姿は見られたくないだろう。

その後Uは一か月近く休み、久しぶりに出社した。顔はガーゼだらけで隙間から見える眉と目に以前の精気が見られない。
元々口数が多い方ではないが、以前にもまして無口になっていた。
みんな腫れ物に触るよう顔の傷には触れず、極めて平静を装ったが、以前のようにうまく話せず会話は途切れがちだった。

俺もそのころプライベートが忙しくなっていて、Uとはいい距離感を置いていた。
元のUに戻るまでは急がないほうがいい。

それから一月ほどが経った。Uのガーゼは少しづつ少なくなっていったが、その分大きな縫い傷が露わになった。
幸いな事は少しUが元気になった事で、以前に近い口ぶりが聞けるようになった。

俺はよく馬鹿をやっていたので、何かとUからたしなめられる事が多かった。
例えば、夜中に阿蘇の山奥で車が壊れて、引っ張りに来て貰ったり、
バイクを廃車にするほどの大転倒をして、Uから軽トラを借りてバイクを引き上げに行ったりとか・・・

そんなある夜の事だった。いつも真面目そうなUが一際真面目に話してきた。

「俺、姉の居る大阪に行こうと思ってるんだ」
「ええー仕事は!」
「辞めるよ。向こうで美容師になろうと思ってる」
「マジで・・・」
「姉ちゃんが、美容学校とかもう手配してくれてる」
「そうなんだ・・・」

Uの1か月間は重大な決断をするには十分な時間だったのだろう。
彼は家族の話題をさらけ出すのを嫌い、お姉さんの事もほとんど話題に出さない。
ましてや彼が美容師になりたいと思っていたなんてまったく寝耳に水の事だった。
同期で一番の友人SとUはほぼ同じ時期に退職し、それぞれの道を進む事を決めた。

みんな自分の道を進み始めた。
俺はこのままでいいのか?
ここに居たままで後悔しないのか?

まだ見ぬ世界がとってもデカく広がって
自分がちっぽけに見えてきた。
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俺の人生のレールを繋ぐ転轍機がギシギシと切替られようとしていた。

続く
Uは不思議な男だった。
職場では俺と同期でもっとも若い社員だが、先輩たちも軽口を言えない雰囲気、オーラを持っていた。

口数は少ないが冷静で的確な事をズバリと言ってのけ、からかって話すと逆にギャフンとやられるのだ。
彼には皆一目置いており、俺も興味があったが現場が違い絡むことが無かった。

そんなある日飲み会があり、市内の料理屋へ集まった。
宴も砕けたころ当時ブームだったカラオケが始まる。もちろん新人は最初に歌わされるのだ。
俺は十八番の一つ、当時流行っていたハウンドドッグの「ff(フォルテシモ)」を歌った。

歌い終わり席につくと突然Uが近寄ってきた。
「今まで色んな人のフォルテシモを聞いたけど、完璧に歌っているのを初めて聞いたよ」
「え!そうなんだ有難う」
「音符通りの音程だったけど欲を言えばオリジナリティーが無いね」
「だんごの歌はものまねだよ」
「・・・」

俺は目が点になった。いつものずばりと言う物言いだ。
しかし、彼が歌うのを聞いたときなるほどと思った。
同じ歌詞で同じメロディーだけど、鷹揚の付け方やフレーズ、アクセント、語尾の伸ばしなどが彼独自の歌い回しだったのだ。
それは上手いとは言えないけど、何となくかっこよく映った。

その事があってからUと少しずつ話をするようになった。
彼は服装や身のこなしまで洗練されており、ダサイ軽自動車以外はほぼ完ぺきな人間だった。
どんな生活をしているのかとても興味が出て、彼の家に誘われた時生い立ちを知る事が出来るとワクワクしたのだ。
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左がU 右がだんご

Uは熊本県でも数少ない市町村で言う村出身で、その村でも一番奥の集落に住んでいた。
そしてその集落の中でも一番山奥のもうこれ以上道が無いところの山筋の狭い道をさらに登った高台に自宅があった。

玄関は農家のそれで高い敷居があり、中は土間で黒い土が固まっている。
靴を脱いでかなり高い段差を踏み台を使い乗り越えて、風格ある畳の居間へ登った。

居間の角には暗くて急な階段があり2階へ上るとすぐ左手がUの部屋だった。
俺の想像とは何もかもが違い、こんな田舎に住んでいてどうして洗練された人間に育つのか不思議だった。
でも、部屋に入るとさらに驚きが増した。

部屋には最新式の大きなステレオやアンプが並び、ギター、シンセサイザー、ビデオ
当時は珍しかったレーザーディスクなどが所狭しと並んでいた。
彼は田舎に居ながら流行の最先端を走っていたのだ。それは田舎者と言う強烈なコンプレックスから来る反発かも知れない。

Uは定位置に座ると音楽の事、ギターの弾き方や、面白い映画などを教えてくれたり、見せてくれた。
Uと俺のミュージシャンの好みは似通っていて、歌の話題も馬が合った。

俺はフォーク上がりのミュージシャンが好きで、吉田拓郎や長渕剛、浜田省吾、甲斐バンドなど男性ボーカリストを好んで聞いていた。
Uは俺よりもっとジャンルが広く、俺が聴かない女性ボーカリストにも詳しかった。
特に「中島みゆき」の歌を何度か聞かされ、事あるごとに彼女の話題をしたがった。

おりしもバブルを迎え世の中は湧いていたし、明るくて楽しいくて派手な事が好まれた。
歌も例外では無く、ディスコソング、サザンやオメガトライブなどさわやかでアップテンポの曲が多く聞かれていた時代だ。
若くて挫折や困難を知らない俺は、Uがどんなに勧めても彼女のマイナーでしみったれた曲が全然響いて来ない。
俺は中島みゆきの話題になると、「ああ・・」と生返事をして真面目には取り合わなかった。

彼が唯一暗い事が車・バイク関連の話題で、俺の影響もあり彼は少しずつ興味を持ってくれた。
ある日彼はこう言った。

「車を買い替えたいけど、どんな車がいいかな」

俺は彼のイメージから革新的で、お洒落、人とは被らない。そして弄らなくてもそこそこ完成されたもので選択し、
イスズジェミニの1.6イルムシャーを勧めた。
彼はあれよあれよと言う間に車を購入し、新車で颯爽と現れた。
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俺のイメージ通りぴったりで、Uには初めてだろう会社の同僚も誘い九州管内の観光地をジェミニで走りまわった。

続く

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