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2008年2月10日。約束の日はもう10年も前の事だ。

スズキエスクードに乗っている有志が各地より九州阿蘇に集まった。
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だんごはエスクードをもう手放していたが、少し前までオーナーだったことで思いもかけず声が掛かった。
そのころのだんごは人生で一番辛い時期であり、突破口を求めてこの会に集った。

あれから10年。時は流れて知ってる人も少なくなった。
だんごの影響でエスクードを買ったニケさんや中JIさん。ニケさんのお父さんもだ。
自分が先にエスクードを手放してしまっても乗り続けてくれている事に感謝!

いつかまたライトクロカンに戻りたい。
そんな気持ちを残したまま数年が流れている。

あの時に集まった有志と訪れた全面凍結の滝「古閑の滝」に行ってみようと思った。

駐車場から滝までは600mの歩道を行く。
その行程には豊肥線の線路があり、熊本地震で崩れて今でも肥後大津駅~阿蘇駅間は不通のままだ。
あれから約2年近くが過ぎようとしているのに・・・

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その姿は変わらずままにあった。
何もかもが変わっても、変わらないものがある。
それは何だか嬉しい事で、昔同窓会で言われた言葉を思い出した。

「今でもバイクに乗ってんだ」
「だんごは昔と変わらないねぇ」

それは褒め言葉なのか、呆れた言い回しだったのか・・・

みんながが変わり過ぎたんだよ。
変わらないものがあったっていいじゃないか!

だけど大きく変わった事があった。
家族がいる事だ。(ワンコも)
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志半ばで途絶えたエスクード。
沿線が途絶え復旧が待たれる豊肥線。

外は寒風が吹きすさびー6℃。
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子供には寒さなんて関係ない!

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瀬の本高原で遊ぶ。

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それでも心の中にはぬくもりを感じていた。
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いつまでもこの風景を見ていたい♪

いつかまたエスクードで来れたらいいな^^
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毎年思うんだけど、冬ってこんなに寒かったっけ

暑さが苦手な人には申し訳ないけど、だんごは夏が好き♪

だってバイクに乗るには暖かい方がいいもんね!

でも登山だけは、7・8月は厳しいかな・・・

どんなに高地でもやっぱり暑い><;

だから冬場は登山重視なのだ^^

前置きはさておいて、今年初の登山に行って来ました!(トレッキング程度ですが)

場所は上天草市の「白嶽」。
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Souも3度目の登山に付き合いました^^

山頂からの展望がよくて最高!
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白嶽から尾根続きの中岳に縦走。
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Souの後ろ姿がなんだかたくましく見える!

最後は湿原に降りて、木道を行く。
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2時間弱の山行だったけど満喫しました^^
三週間越しで長崎戦跡巡りの動画をUPしました^^

今回は戦跡メインと言うか、戦跡のみで6ヵ所巡りましたー

改めて九州には戦跡が多いなぁ・・・

しばらくは、だんごファミリーのライフワークとして紹介していきます。

てか、今回の動画は家族ムービーになってますm(__)m

興味があったら覗いて下さい!
遅番勤務の休憩時間、夜空を眺めていた。

満点の星空。
我らはあの輝く一つ一つの星なのか・・・
いや、輝けるのはごく一部で輝けない星も無数にあるかも知れない。
俺は一瞬でも輝く事が出来るだろうか?

同期で一番仲の良いUとSは進路を切り替えた。
Uは美容師を目指し大阪へ、Sはデザイナーを目指し東京へ行く。
UやSのように自分の好きな世界で生きていければ・・・
俺は何がしたいのか、
何になりたいのか、
自分の進むべき道を毎日考えていた。

Uは言う。
「だんごは何がしたいの?」
「う~ん、レーサーかな」
「バカじゃ!」

そう、俺がなりたいものは現実離れしたものばかり。
不可能とは言わないが、二十歳を目前に控えて今から動くには相当の努力が必要になりそうなものばかりだった・・・

具体的な目標が見つからないまま、ともかく車やバイクにかかわる仕事をしたいと漠然と思っていた。
色々調べているといくつかの選択肢が浮かんできた。
一つは職業訓練校の一定の給料を貰いながら自動車機関の勉強が出来て資格も取れるという特別優遇枠だ。
これである程度手に職をつけて再就職につくか、もう一つは知人のやっている板金・整備工場へ転職する方法だった。
しかし、板金・整備工場は3か月間は見習い期間で両手にも届かないぐらいの給料しか貰えないという。

一人暮らしをやってて、家賃や換えたばかりの車のローンを抱えていた。
しかも最近島原のワインディングでCBR400Fを廃車にして、こっちはローンだけ残っている。
金銭的には首が回らない状態で、職業訓練校が一番の候補だった。

会社には春までに退職する旨を伝え、職業訓練校の受験を迎えた。
簡単な筆記試験と面接で試験は終わった。

職場のメンバーは3年にも満たなかった俺に送別会を開いてくれて、もう後戻り出来ない状況だ。
期待と不安を胸に結果発表を待った。
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下段中央がだんご

結果は電話で聞かされた。「不合格」だった。
内容は、枠は5名しかなく子供を抱えた一家の主で生計に危機がある人から優先で、俺のように若く失うものが少ない物は後回しになるという話だった。
「木工工芸」は定員に満たないので、そちらなら枠に入れられると言われたが、まったく畑が違う。

そうだよね。元々うまい話だった。退職は近く迫っていて、こうなれば2番目の選択肢に移るしかなかった。
板金・整備工場は面接だけで退職後すぐ移る事になった。
どうやって見習い期間の3か月間を食いつなぐかが問題になり、アパートを引き払い実家に帰ることにした。

実はここまでの経緯を両親に話したのはこの時が初めてで、父親は烈火のごとく怒った。
そりゃそうだ。せっかく安定した職業に就職したのに何の相談もせず、もうすぐ退職するなんて勝手に決め、
もっといい会社に転職したならまだしも、今から見習いなんて・・・
しかも家に帰れば食い扶持も増えるわけだから。

俺はまるで出戻りの嫁のように遠慮がちに過ごした。
車も中古のディーゼルに換え、バイクを持つことはもちろん控えた。
そのうち初出勤の日が来ても悶々とした気持ちが収まらないまま出社していった。

幸い仕事は面白かった。元々ヘルメットの塗装やバイクの整備など自分で出来る範囲はやっていたし
プロの技を目の当たりにして俺にも出来たらいいなと、休み時間や休憩時間も自分の車で練習した。

この時解ったのは、板金と整備はセットだと言うことだった。
まれに全塗装とかで傷のない車両の塗装もあるが、ほとんどは事故車両の板金で、色んな部品を外したり
叩いたり、溶接したりで当然最後は元に組み上げるので整備が出来ないと板金も出来ないのだ。

塗装は大好きだったが、板金・整備が意外と力技で、硬いネジを回したり、重いエンジンやミッションを降ろしたり
一日やると身体がヘトヘトになるほど疲れた。

見習い期間の給料では、月々赤字だったが3か月ならと思い何とか食い繋いだ。
そのうち見習い期間が終わり、初めてまともな給料を貰うと、ほとんど変わらない事に驚いた。
月々の支払いも厳しいし、季節は夏を迎えていてエアコンの無い工場で働く身体は汗疹だらけになった。

そのころには好きだった塗装も、シンナーの匂いが苦手になってきて、パテの削り粉で咳が止まらず八方ふさがりの状況だ。

「俺はこんな事をする為に転職したのだろうか」

月々の支払はますますピンチで、早く決断しないと残された猶予はすくなかった。
明けましておめでとう御座います
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